プロフィール

はじめまして。

自分らしく生きる”未来デザイン”カウンセラー

結月 あかり(ゆづき あかり)です。

子どもの頃から束縛・過干渉の母との葛藤を抱えながらも、自由に自分らしく生きたいと願っていました。

大人になってからも変わらず過干渉で価値観の押し付けまでしてくる母に反発しながらも、身体障害者で高齢になっていく母を見放すことはできませんでした。

あるカウンセラーとの出会いを機に、私はアダルトチルドレン、共依存の傾向があると知りました。

やはり母と距離を置くことがお互いにとって健全な関係につながるのだと改めて思い直し、一歩を踏み出し、再び自分らしく生きる人生を手にしました。

*私の半生を見て頂くことで、読んで下さっているあなたのお役に立つかもしれません*

*少し長くなりますが、詳しいプロフィールをこの後読み進めて頂けるとありがたいです*

私は、自営業を営む両親と兄の4人で自然豊かな環境で育ちました。

優しく温かな父、テキパキ家事をこなすしっかり者の母、頭が良く話し上手な兄。

幼少期の私は、引っ込み思案で内気でしたが、根は明るい方でした。

そんな私に暗い影を落としたのは、厳しい母の存在いじめでした。

小学低学年の頃、父の留守中に家で母、兄、私の3人で風船を使ってバレーボールをして遊んでいました。

私に風船がまわってきて打ち返した風船を取ろうとした母が近くにあったテレビ台に右足をぶつけ、倒れ込んでしまいました。

母は救急車で運ばれ、診断によると主原因は「骨腫瘍」で骨折しやすい状態だったそうなのですが、テレビ台に足をぶつけたことで骨折して入院することになってしまいました。

「どうしよう…。私のせいでこんなことに」

私は罪悪感に苛まれ、学校が休みの日にはよくお見舞いに行っていました。

お見舞いに行くと、母は優しく迎えてくれたので、内心ホッとしました。

しかし、母は退院してからも歩くのに杖が欠かせないようになってしまい、私は母に対してずっと負い目を感じていました。

母はもともと愛情深いのですが、しつけに厳しく、常に命令口調で価値観も押し付けがちでしたので、私にとって怖い存在でいつも母の顔色を伺い、萎縮していました。

学校が休みの日、私は家にこもりがちだったからか、母は無理やり地区で募っていたキックボールに私を行かせました。

私は球技が苦手で行くことを嫌がりましたが、母はそれを許しませんでした。

私は「キックボールなんてしたくない」と口に出せず、泣きながらキックボールをしに行った苦い記憶があります。

キックボールは少しも上手くならず下手のままでチームに溶け込むこともありませんでした。

私は、兄と比べて要領も悪くペースがゆっくりだったので、よく母に「早くしなさい!」と急かされ、怒られてばかりでした。

「どうして私はテキパキとうまくできないんだろう…」と落ち込み、兄に対して劣等感も強くなっていきました。

また、両親のケンカもよくあり、「ケンカしないで!」と私が間に入っても仲直りすることはありませんでした。

両親の不仲を目の当たりにするのは子供心に大変つらく、「せめて私たちの前ではケンカしないでほしい」と思っていました。

そして一番苦しかったのは、母はキッチリしていて完璧主義なところがあり、そこに私は息苦しさを感じていました。

私がやりたいことには、いちいち干渉してきて自由がなく、それがイヤでした。

父に対しても自分の価値観を押し付け、仲がこじれることが多かったです。

父は優しく接してくれていたのですが、母のいる家庭はとても安心して暮らせるものではありませんでした。

高校3年になって進路を決める時期のこと。

母は私に地元で就職することを望んでいました。優秀な兄と違って、特に学業の成績が良いわけでもなく、女の子だから…と。

私は、このまま地元で就職して、束縛・過干渉の母といたら自分らしくいられない、自由のきかない、こんな息苦しい生活なんて嫌!と一大決心をして県外への進学を決めました。

とにかく母から離れたかったのです。

とはいえ、高額な学費等が両親の負担になることに申し訳なさもあり、せめてもの生活費は奨学金とアルバイトで賄いました。

学校生活でも、小学高学年になると、突然クラスの子達から無視されるようになり疎外感を感じました。

担任の先生が話し合いの場を作ってくれ、理由を聞くと、いじめの対象となっていた転入生と仲良くしていたからということでした。

「そんなことが理由で無視したりするの?」正義感の強い私は腹立たしさで涙がこぼれました。

その転入生は話かけてみると年齢の割に考え方がしっかりしていて私は好感を持ちましたが、ハキハキした物言いが他の子達の反感を買ったことが要因のようでした。

それから、その転入生とは中学進学とともに別れることになりました。

また、中学にあがっても不良グループからいじめを受けていた友達と仲良くしていたからか私にもつらく当たられました。

音楽の授業で好きな歌をリクエストしてみんなが歌う時間があり、私がリクエストした時には不良グループの一人が「そんな歌、リクエストするな!やめろ!」と罵声を浴びせられ、周りは静まり返り、先生も注意することなく、ただピアノ演奏だけが流れました。

「今日は私が好きにリクエストできる番なのに」と悲しくて涙があふれ、歌うことができませんでした。

楽しいはずの時間が悲しい時間に変わってしまいました。

それでも、私には彼女がいじめられる理由が分からなかったので、そんな罵声に屈せず、いつもと変わらず他に仲良くしている友達と一緒に遊んだりしました。

そんな理不尽なことに屈したくなかったので、自分の意思を貫いたのです。

月日が流れ、高校卒業後は一旦、地元を離れたことで、少し母から解放されて気持ちは楽になりました。

ですが、県外で働いている間に、最愛の父が亡くなり、また、失恋がきっかけでパニック発作を発症するなど精神的にも辛くなり、40歳手前に地元に帰ることになりました。

兄は県外で働いていたので、地元で母と二人で暮らすことになり、就職先も見つけました。

それまで仕事中心で生きてきましたが、生涯のパートナーを見つけて一緒になりたいと思い、そのことを母に言うと「40歳にもなって結婚なんて!!」と否定されました。

母は世間体を気にする方で、仕事を持ち頑張り続けることを私に求めました。

それから10年経ったある日、そんな母が「孫がほしい!!」と言い出しました。

母と同じ年代の方が会っても孫の話ばかりするので、自分にも孫がいたら…と思ったらしいのです。

その言葉を聞いた途端、私は母に対して怒りで震えていたことを憶えています。

私が結婚を望んでいることには否定的なのに、自分は孫がほしいって、どういう事?無神経で勝手すぎる!!と…。

また、夏の暑い日でもエアコンをつけることを母は許しませんでした。

扇風機で十分耐えられると。

私は暑がりで熱帯夜に窓を開け扇風機をかけても耐えられない日があり、こんな我慢ばかりし続けなければいけないような母との生活に耐えられず、「こんな生活、もうイヤ!」と家を出たこともありました。

とかく束縛と過干渉がひどく、すぐ「家族だから」と、踏み込んだことをズケズケ言ってくるので、とても不快でした。

出かける時も何のために出かけるのか、わざわざ出かけなくても良いのではないかと常に一緒にいようとし、年に一度、1000円程度の手帳を買うことにもいい顔をしませんでした。

母は倹約家で私が少額のお金を使うことも許しませんでした。

このように大人になっても、私のライフスタイルにまで干渉してくるので、気がおかしくなりそうでした。

自治体に相談したこともありましたが、家族の問題にむやみに立ち入れないようで解決につながりませんでした。

ついに遠く県外に出ていた兄に連絡し、事情を説明すると地元に帰ってきてくれました。

兄も母の性格を十分理解しており、母との生活(家事全般担当)を数ヶ月ごとに交代ですることを提案してくれ、負担が軽減しました。

私たちは、母が兼ねてから老人施設に入ることを嫌がっていたので、その意見を尊重してきました。

しかし、母の意見を尊重して身内で世話することを当然のように思い、母は図にのってわがまま言いたい放題し出し、私はもう投げ出したい気持ちになっていました。

そんな時、あるカウンセラーから私はアダルトチルドレン、共依存の傾向があると言われ、ある種のショックを受け、愕然としました。

それからアダルトチルドレン、共依存について調べ、母の意見を尊重して同居を続けてきたことはお互いにとって良くないことだと知りました。

「お互い離れて暮らそう」母にそう話を切り出しました。

以前にも「母とは価値観も合わないし、お互いにとって良い関係性が作れているようには思えないから離れた方がいいと思う」と伝えたことはありましたが、母は「家族は一緒に暮らすものだ」と言って取り合おうとしませんでした。

今回改めて「これからは自分のために生きる」と強い意志を持って母と離れることを伝えました。

私の本気度が伝わったようで、母は何も言い返しませんでした。

今では母と距離を置き、自己責任のもと、自由に自分らしく夢を叶えていっています。

子どもの頃から母に「人に頼らず、自分一人でできるようになりなさい」とよく言われてきました。

そういった思考グセが大変な時でさえ何もかも自分一人で抱え込むようになっていたのです。

「助けて」が言えない。

人に迷惑はかけられない。

それに今まで他人を優先し、自分のことは後回しにしてきました。

ですが、カウンセリングのワークを通じて、心のモヤモヤを言葉にするたびに幼少期・人間関係で身についた思考グセが癒されていきました。

そして、これからはもっと自分を大切にしていこうと思ったのです。

こういった自分の経験を通して、少しでも親との関係に悩んでいる人、自己実現を叶えたい人の手助けになればと思っています。

また、教育機関で就職支援の経験もあり、将来の仕事について悩みのある人には天職(適職)を見つけるお手伝いをしたり、就職先の紹介、履歴書の記入の仕方、面接練習などをしていました。

カウンセリングワークを通じて、自己実現を叶え、天職(適職)も見つけ、あなたがあなたらしく生きられるよう、”未来デザイン”を一緒に創っていきませんか。